舞台『酔いどれ天使』と悪魔
明治座にて、上演されていた『酔いどれ天使』を鑑賞してきました。
17時からの明治座での公演でした。
3回席からの観劇で、客席も6、7割ほどでしょうか埋まっておりました。
明治座の中では、カフェや売店もいくつかありまして、お土産を買うお客様もいらっしゃいました。
そして何より、自動販売機がありましてキャッシュレス決済の出来るものでありました。
近所も都内でも観たことがなく、初めてお目にしました。
初めての明治座での鑑賞でしたが、この場所を目指しながら観ているところでもありました。
なぜなら、日本最古の劇場として機能しており、
その歴史を堪能することが出来たからです。
500年の歴史がこの劇場にあると思いました。
『酔いどれ天使』は映画でも2度鑑賞していて、三船さんと志村さんの個性が鬩ぎ合う映画であると思いました。
観ていて思ったのですが、セリフがほぼ映画のものと同じでありました。最初の出会いのシーンはそうでした。
そして、ヤクザの松永を桐谷健太さん、医者の真田を高橋克典さんが演じていらっしゃいました。
舞台上でも松永と真田は鬩ぎ合い、ともにあの時代を生きていらっしゃいました。
松永はヤクザで結核で死にそうだが、真田は医者として彼を救おうとするがヤクザの存在は否定する。
悪ではあるが病人である松永と悪を否定するが治療するアル中の医者である真田。
ヤクザの世界の圧力と生活の貧しさがものを言い、明日は見えないまま。
生きていく上の矛盾を両者の視点から描いていたのは紛れもなく善も悪も明快ではないグレー色であったことだった。
その曖昧さを演じていたのが素晴らしかったです。
深掘りしたいのが、劇中での松永のあるフレーズです。
何度も何度も彼は繰り返し言うフレーズがありまして、彼はこの劇中で一回も変化していないのだと感じました。
真田は医者としてのプライドが病人だから救いたいが、ヤクザの世界にはそれはなかった。
圧力関係が変化し、松永は死に迫るこの体でその世界に乗り込んでいた。
酒、遊び、女。理性を必要とせず、欲望のまま生きていた。生き続けていた。
松永は訪れる劇中の最後までそのフレーズを話さなかった。そして生きている姿は変貌していったのだった。
この作品に悪魔を一人いるとしたら、それは松永です。
松永を演じた桐谷さんもきっと悪魔です。白熱の演技でした。
彼がどんどんと人の道を踏み外していく様は痛快であり、皮肉的です。
影の主役は照明です。
雨、ダンスフロア、血、怒り、太陽、泥沼。
様々な場面で光が物語を動かしていたのは確かです。
舞台は自身の目で観るものであると改めて感じました。
技術の仕掛けは本当に隠れています。
最後に。
私の個人的な出会いは高橋さんです。面白い演技でした。
上手い高橋さんがもっと観たいです。さらに上を目指してください。
演出の三池さんが会場にいらっしゃいました。同じ3階席でした。
声はかけずに、目で視線だけ送りました。
これからです。